【他人にどこまでしてあげることができるのか】展望塔のラプンツェル
著者 宇佐美まこと
【内容】
★★★第33回 山本周五郎賞ノミネート作品★★★
多摩川市は労働者相手の娯楽の街として栄え、貧困、暴力、行きつく先は家庭崩壊など、児童相談所は休む暇もない。児相に勤務する松本悠一は、市の「こども家庭支援センター」の前園志穂と連携して、問題のある家庭を訪問する。石井家の次男壮太が虐待されていると通報が入るが、どうやら五歳児の彼は、家を出てふらふらと徘徊しているらしい。
この荒んだ地域に寄り添って暮らす、フィリピン人の息子カイと崩壊した家庭から逃げてきたナギサは、街をふらつく幼児にハレと名付け、面倒を見ることにする。居場所も逃げ場もない子供たち。彼らの幸せはいったいどこにあるのだろうか―。
選考会は9月17日予定
社会問題をミステリーとして描き上げ、物語は「衝撃のラスト」へ……!
【感想】
★★★★★
児童相談所で働く人たちとケアしている家族の話、ナギサとカイとハレの話、長年不妊治療をしている夫婦の話、この3つの視点で描かれた物語はとても重く苦痛でした。どうか幸せになってほしいとずっと願い続けながら読んでいました。
虐待のニュースなどは見ていて心が痛みます。
児童相談所の葛藤なども見え、簡単ではないんだろうなと思いました。
不妊治療をしても授からない、子供の欲しい夫婦。どうしてこういう夫婦には授からず、虐待をされてしまう子供がいるんだろう。よく言われる「胎内記憶」。両親を選んで子供は生まれてくるという話は本当に私にとっては苦痛。友人とこの話をした時に、虐待死が待ち受けていてもそれでもそれはその子のカルマであり、それを選んで生まれてくるのだという話を聞いたときには何とも言えませんでした。
カイは、母親がフィリピン人で自分のアイデンティティが定まらない若者。友人のヤスも、在日コリアンでありながらアイデンティティについて悩む。この二人は別々の道へ進むけれど、どちらも痛くて苦しかったです。ナギサは兄たちから繰り返し性的虐待を受け、身体的にも精神的にも傷ついている少女。そんなナギサにカイは優しく寄り添ってくれている。カイとナギサがある日、一人で歩いていたハレという幼児を見つけ、彼らは少し前に進み始める。
辛くて痛くて苦しいこのお話ですが、最後の展開で光が見えたとき、読者にも救いが差し伸べられた気がしました。