【ジェンダーレストイレについて考えた】赤泥棒
【著者】献鹿狸太朗
【内容】
誰も無傷ではいられないーー。
心と身体の居場所を探す高校生たちの姿を、無呼吸で叫ぶように描かれたデビュー作。
「捨てられたものを拾うのは泥棒ではない」と嘯き、女装をして女子トイレに侵入し、捨てられた生理用ナプキンを盗む百枝菊人。女装がバレたら心の性別をたてに被害者ぶろうと思っていたところ、同じ学校の明石睦美に目撃される。彼女は百枝が自分と同じく、性別に違和感を抱いていると思い急速に接近してきた。無理解と偏見がマイノリティを利用し、共感と愛情が暴力を肯定する・・・・・・。
表題作『赤泥棒』に加え、文藝賞最終候補に選ばれた『青辛く笑えよ』、「普通」を唾棄する高校生が才能の塊と出会い自我を崩壊させる『寄食のダボハゼ』をおさめた短編集。
【感想】
★★★★☆
なかなかの衝撃作。
特に一番初めのお話の始まりが衝撃的過ぎる。
内容にも書いてあるが、女装をして女子トイレに侵入し、生理用ナプキンを盗むのだ。
ちょっと話題になっていた歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレを思い出した。どうやら今はパーティションで区切られて女子トイレもできたらしいけれど。
ジェンダーレストイレだったらこういう人は別に女装をするまでもないよね。
普通に生理ナプキンが捨てられているトイレに入れるんだから。
女性としてはすごく嫌。
ジェンダーレストイレを作るのはいいけれど、なぜ女性用トイレをなくすのか本当に意味が分からなくて逆にその頭の中をのぞいてみたいとさえ思う。
しかも基本的に男性がそこを利用するのは「大」の時。そのあと入るの絶対嫌だ。
ジェンダーマイノリティに対する配慮はいいんだけど、なぜ女性に対しての配慮をなくすのか。更衣室とかトイレとか、男性が入ってきたら怖くて仕方がない。変質者に追いかけられたら逃げることもできない。
私は日本在住ではないけれど、前に通っていた市民プールの更衣室は男女分かれていなかった。ただボックスがあり、棚が少しあるのでそこにカバンを置けるが基本的に昔懐かし電話ボックスサイズのものが10か所くらいあり、すべて施錠できるタイプ。そこで男女の区別なく着替えることができる。荷物は鍵付きロッカーが別に用意されていてそこに入れる。もしジェンダーレスをどうしても採用したいのであればそういうのでいいのではないか。ちなみにシャワーは壁にシャワーが取り付けられていて水着のまま使用する感じだったような気がする。
本の話題に戻ろう。
とにかく最初の序盤が衝撃的過ぎたけれど、なかなか面白い作品だった。
2番目のお話もなんかすごいけれど面白かった。男子の友情も良かった。